常勤医師募集中

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  1. スタッフブログ

 いつもスタッフブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 

 今回は、当院スタッフの活動について紹介したいと思います。

 

 令和5年10月28日(土)から30日(月)にかけて、鹿児島県で特別全国障害者スポーツ大会「燃ゆる感動かごしま大会」が開催されます。茨城県では、ボッチャや聴覚バレー(男子)陸上など8つの競技に参加予定です。その中のフライングディスク競技にメディカルサポートとして当院スタッフが帯同参加します。

 

 私も初めて知ったのですが、フライングディスクは、プラスチック製の円盤(ディスク)を投げて競うシンプルなスポーツで、どれだけ遠くに飛ばせるかを競う種目「ディスタンス」と正確に金属の輪を通せるかを競う種目「アキュラシー」の2つの種目があるそうです。 簡単で、いろんな障害のある人が一緒にプレーできることも大きな特徴だそうです。

  

 その他にも今回のかごしま大会では、個人7競技、団体7競技の合わせて14競技を正式競技として実施するほか、障害者スポーツの普及の観点から有効と認められる競技をオープン競技として実施するそうです。ちなみに昨年10月に行われた第22回全国障害者スポーツ大会の記録では、フライングディスクディスタンスで50m52cmの記録で茨城県の選手が1位となっています。

 

 メディカルサポートの役割としては、競技中に起こりうる怪我や体調不良に迅速かつ適切に対応し、選手たちの安全を守ることです。医療知識や応急処置の技術を持ちながら、競技場に常駐し、選手たちが安心してプレーできるようにサポートすることです。また、選手たちの身体状態を定期的にチェックし、適切なアドバイスやケアを提供することも重要な役割の一つです。選手たちが持つ能力を最大限に引き出し、彼らが最高のパフォーマンスを発揮できるようにサポートすることです。

 

 選手たちの健闘を心から祈りながら、ボランティアとして全力でサポートしてもらいたいと思います。

 

 みなさんも、ぜひ選手団の活躍応援よろしくおねがいします。
 フライングディスクの他にも、様々なパラスポーツがありますので、興味のある方はぜひ調べてみてください。

 

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 暑すぎた夏休みが終わり、新学期が始まりました。夏休み中は、お弁当を作ったり、学年の小さいご家庭では一人で自宅にいられるかを心配したりと、気が気ではなかったでしょう。私も子育て中はそんな思いをするときもありましたが、我が家の場合は小学校に学童クラブがあり、放課後や夏休み、冬休みなど学校休業日に預かってもらえることを知り、私が仕事を始めると同時に小学1年生だった娘は学童クラブで放課後を過ごすようになり、その後息子も放課後は学童クラブで過ごしていまいた。

 

 対象学年は1年生~3年生。時には高学年の児童の姿も見かけられました。当時、60~70名ほどの児童が学童クラブで過ごしていました。学年の違う友達に教えてもらい、1年生の終わりごろには一輪車に乗れるようになったり、カードゲームやお手玉など家庭ではあまり触れないような遊びを覚えてきたりと、毎日楽しそうでした。
 夏休みには、あの頃徒歩圏内にあったマクドナルドにお昼を買いにいく楽しみもありました。そうしたなかで、友達も同学年の横の繋がりは勿論の事、他学年との繋がりもでき、社会性や協調性も養われ、友達の幅も広がっていったようです。
 保護者の私も夏休みの当番やプール当番、会計係で学童クラブのお財布(通帳)を預かり、先生方のお給料の計算をしたりと(これが一番大変)、大変な時もありましたが、学童での様子や他の子供達の様子を垣間見る事ができました。先生方のお陰で、親子共々不安や心配をすることなく過ごすことが出来て、助かりました。

 

 そして25年の時を経て、孫娘が今年より同じ小学校の学童クラブでお世話になっています。先生方の顔ぶれを見てホッとしたようなちょっとびっくりしたような・・・私より年上のはずの先生達が25年前と変わらず?にいてくれたのです。
 現在学童クラブを利用している児童は100名程となり、第1学童~第3学童と称して、其々に役員をおいて運営をしているようです。孫娘も学童が大好きです。夏休み中は勉強と遊びを毎日。お昼は給食。至れり尽くせりです。先日はお楽しみ会をして花火やハンバーガーやお菓子等々沢山貰ったと喜んでいました。放課後自宅で過ごさせる不安や心配もなく、楽しく過ごすことが出来て、昔も今も、本当に感謝です。

 

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 去る8月6日~7日に、筑西市子ども会育成連合会主催のリーダー研修会2023にスタッフとして参加しました。対象は市内に在住する小学校4~6年生で、各地区より25名が参加し、さしま少年自然の家にて2日間生活をともにします。以前にさしま少年自然の家に来たのは、おそらく娘が小学生の頃であったと記憶しており、おおよそ20年ぶりの訪問になりました。

 
 筑西市の子ども会活動には長年従事して来ましたが、球技大会の担当が多かったため、研修部門に携わる機会がほとんどありませんでした。コロナ禍により3年間の活動のブランクがあり、今年度は事務局長という立場になり研修会への参加の機会が得られたものです。

 

 さしま少年自然の家の理念は、今日の子どもたちに不足している生活体験、自然体験、社会体験などの機会を創出し、人と人との繋がり、動物や自然とのふれあい、多くの人との関わりを通して「生きる力」を育む、というものです。まさに子どもの宿泊学習にはもってこいの施設です。初日の午前中にビンゴオリエンテーリングという、ビンゴゲームの要素を取り入れたオリエンテーリングを行い、雑木林を子どもたちと駆け回り、活動をとおして協力のありかたを学ばせることが出来た。自分は、高校生会のボランティアさんと二人で、女子6人の班を受け持ちました。体力的には、男子の班に劣るものの、プランニングと時間配分のうまさが功を奏し、ビンゴがひとつ完成して4チーム中1位となりました。その後、プラネタリウム鑑賞を行い、身体のクールダウンをしながら宇宙のことを学びました。

 

 午後は、野外炊飯にて、薪を使った火起こしとカレーライス作りを体験しました。キャンプに行き慣れている子どもは少数派でしょうから、火起こしの経験や鍋でご飯を炊くことなど貴重な体験だったと思います。また、「来た時よりも美しく」を目指しての後片付けもそれぞれに頑張っていました。そして、夜の部では、キャンプファイヤーを体験しました。我々不慣れなスタッフでは、場を盛り上げるネタなどありませんが、ちゃんとキャンプファイヤーのスペシャリストを呼んでいたらしく、キャンプファイヤー向けのゲームを次々と繰り出して、大いに盛り上げてもらいました。

 

 2日目は、午前中にハンドクラフト「バードコール作り」を体験しました。俗にいう鳥笛のことで、「キュキュ」「ピーピー」という音に、本物の鳥たちが反応して、野鳥との会話を楽しむ道具として親しまれています。完成後に、森に入って子どもたちは、それぞれに小鳥との対話を試みていました。午後は、さしま少年自然の家を後にして、つくばの宇宙センターを見学して帰路につきました。猛暑の中での活動は、子ども達だけでなく我々スタッフも大変でしたが、子ども達から学ばせてもらうことも多々あり、来て良かったと実感しました。子ども達の成長を楽しみに、また来年参加したいなと思いました。

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 残暑と言うには暑すぎる毎日ですが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。今年は連日気温30℃を超え、年々暑さが厳しくなっているように感じています。暑さが苦手な私は、もう夏はお腹いっぱいだなぁと思っています。

 

 我が家の夏の風物詩は、猫がエアコンの直下で長い毛をなびかせながら風に当たっている姿がみられることでしたが、今年はそれが見られません。なぜなら、我が家のエアコンは電源を入れても、ピカピカと点滅するだけで動かなくなってしまったのです。事の発端は、エアコンからの水漏れ…。ある朝、ふと目を覚ますと、水が滴る音がしていました。始めは水道の蛇口が緩んでいるのかと思いましたが、音は窓の方から聞こえてきます。カーテンを見るとエアコンの下の部分だけが濡れて色が変わっているではありませんか。床は水浸し…。エアコンの隙間から水が滴っているため、応急処置としてペット用のトイレシートを水が漏れている下に敷きました。水漏れの原因をネットで調べると、「ドレンホースが詰まると、室内に水が漏れる」と書かれていました。ベランダに出てみると、ホースの途中から水が流れ出ていたため、つまりを除去しました。その結果、ホースの下から水が流れるようになり、室内の水漏れもなくなりました。修理を依頼しなくても自分で直せて良かったと思っていましたが、その数か月後エアコンが動かなくなってしまいました。再びネットで調べると基盤の故障であることが分かりました。修理には時間がかかるようで、いつ直るのかは分かりません。そのため、サブで使っていたエアコンをフル活用していますが、思ったようには部屋全体を冷やすことができません。猫も暑いため、エアコンの効いた部屋の前に転がっていることが多くなりました。猫が熱中症になっては大変なので、サーキュレーターを買い、風を流せるように工夫していますが、思うようには行きません。窓を開けても熱風が吹き、かえって部屋が暑くなり、ジメジメ…。窓を開けると猛スピードで窓際に寄ってきた猫もほとんど寄りつきません。猫も外の景色より涼しさ優先ですね。家も外も暑いなんて耐えがたいことですが、猫も私も熱中症にならないように水分補給をしつつ、1日も早く修理が来てくれ、エアコンの風に吹かれる猫の姿を見ながら涼しく過ごせるようになることを願い、残りの暑い日々を乗り切っていきたいと思っています。エアコンのありがたみを改めて感じています。

 

 冬が待ち遠しい…。
   
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 今年の夏は全国的に気温が平年よりも高く、熱中症や体調を崩す方も多いのではないでしょうか。そこで水分補給に欠かせないのが「水筒」です。私も水分補給に水筒を2本持って出勤しています。

 先日、いつも通り水筒を持って出社し飲もうと思ったその時、水筒の蓋がきちんと閉まらずに「おかしいな」と何度か蓋を開閉している内にプラスチックのボタンが「ボロッ」と折れてしまい、蓋が閉まらなくなってしまいました。その日の帰り道に近くの店で同じサイズの水筒の蓋を探しましたが見つからず。仕方がなく新品の水筒を購入して家に帰りました。

 私には4歳の息子がおりますが、私が買ってきた新品の水筒を見て「この水筒を保育園に明日持っていく」というではありませんか。仕方なく私は息子に水筒を譲りましたが、水筒がないということは・・・息子の水筒を私が持っていく選択肢しか残されていません。
 
 息子の愛用していた水筒は、トイストーリーの大きなウッディとバズライトイヤーの絵と黄色や水色のとてもカラフルな水筒でした。背に腹は代えられなく、恥ずかしさをこらえながらそれを持参して出勤する羽目になりました。

 余談ではありますが、職場の上司は私がその水筒で飲んでいる姿をみて爆笑していました。

 皆さんも似たような経験はございませんか?まだまだ暑い日が続きますので水分をこまめにとりながら体調に気を付けてお過ごしください。
 
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 先日、佐賀県の吉野ヶ里遺跡から石棺墓が出土し、「卑弥呼の墓かも」と注目されましたが、開けてみると特に副葬品もなく、専門家からも「卑弥呼の墓の可能性は低い」と言われ、古代史ファンをがっかりさせました。もともと吉野ヶ里遺跡では大型の壺を用いた埋葬様式で、その中国大陸との類似性から、渡来系の部族の集落とも考えられており、一説では吉野ケ里は山東省にあった斉の出身の徐福の移民団の末裔という説もあります。卑弥呼は中国の「魏志倭人伝」に記載された人物で、西暦247年頃に亡くなったと記録されています。実は同じ中国の「三国志」と「晋書」には、この西暦247年3月24日に洛陽で日食が観測されたとする記載があります。この日食の範囲を現代の天文学で再現することができます。ここにNASA Eclipse Websiteに記載された当時の日食の地図を掲載しますが(図1)、

247年3月24日と248年9月5日の二回の日食が発生しています。このうち247年は北九州から出雲地方では、日の入りの前から太陽が欠け始め、皆既日食の状態で日没し、そのまま夜になったと推察されます。一方248年は日食で日の欠けた状態で日の出を迎え、その後午前中に元の太陽に戻ったようです。すると天文学の知識のない当時の九州の人たちには、247の日食の際には、太陽が隠れて無くなってしまう、この世の終わりのように思えたかもしれません。そして248年の日食で太陽が闇から復活して戻ったと感じたことでしょう。この二回の現象から連想されるのが、古代神話の「天の岩戸」伝説です。「天の岩戸」では、太陽神である「天照大御神」が、建速須佐之男命の狼藉に怒り、天岩戸に引き篭ってしまいました。高天原も葦原中国も闇となり災いが発生したので、八百万の神が岩戸前に集まり、お祭り騒ぎをしました。騒ぎに気になった天照大御神が扉を少し開けて顔を出したところを外へ引きずり出され、世界に明るさが戻った、とされています。まさにこの二つの日食によく似たシチュエーションで、以前から卑弥呼の日食と天の岩戸伝説を結びつける説は唱えれれていました。天照大御神と同じく、卑弥呼も人々から太陽に重ねて敬われていたとイメージされます。

 
 実は卑弥呼のモデルは二人以上います。邪馬台国の場所も畿内説と九州説と二つあります。そもそも「魏志倭人伝」に記載された「邪馬台国」は「ヤマト国」のことで、ちょうど Italiaを「伊太利亜」と当て字で書くのと同じように、中国側がつけた当て字です。「卑弥呼」という名も、中国側が蛮族の女王という意味で「卑」という字を勝手に当てただけで、本当の日本側の名前は「日巫女」あるいは「姫巫女」「比売子」とするのが正しいとされます。畿内説での「ヤマト国の姫巫女」のモデルとされる人物の本名は「倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)」といいます。長いので以後は「モモソ姫」とします。邪馬台国(ヤマト国)は奈良県桜井市三輪山近くの「纏向遺跡」、お墓は桜井市の「箸墓古墳」が有力候補とされています(図2)。

古代ヤマトでは三輪山を太陽信仰のご神体の山と扱っており、丸い鏡を神具に用います。姫巫女であったモモソ姫は巫女的能力(シャーマン)に特に優れていて、時々神様が憑依してご神託を伝えていたようです。そこで姫巫女の主催する大祭の際に全国の有力豪族が三輪山の麓に集まり、モモソ姫からご神託をいただくことを「マツリゴト」というようになったそうです。これがだいたい西暦180~190年頃のことで、この噂を中国の役人が聞いて記録したのが「後漢書」と「魏志倭人伝」の前半、第一の卑弥呼です。三輪山は現在でも関西最強のパワースポットとして人気があります。モモソ姫の後代にあたる倭姫命(やまとひめのみこと)がヤマト国から伊賀・近江・美濃・尾張の諸国を経て伊勢の国の五十鈴川のほとりに移り住み、その場所が皇大神宮(伊勢神宮内宮)になったと言い伝えられています。その後は伊勢神宮で天照大神の御神体である八咫鏡(三種の神器の一つ)を祀るようになり、現在に至ります。

 
 実は皇室には伊勢神宮と共に二所宗廟として扱われた最も格式の高い神社がもう一つあります。それが現在の大分県にある宇佐神宮です(図3)。

宇佐神宮は古代においては重要ごとについて朝廷から勅使が派遣されて御神託をうかがう程重要視されていました。当時北九州から大分にかけて有力豪族の宇佐族が治める「豊の国」がありました(旧国名の豊前と豊後)。ここに古代神話の海幸山幸伝説の竜宮城の乙姫・豊玉姫のモデルにになった女性がいて、宇佐神宮の姫巫女についていました。この豊の国の姫巫女(豊玉姫)が第二の卑弥呼です。九州の人々は地理的・歴史的にも大陸との交流を昔から続けていましたので、西暦238年に豊の国は魏に使者(難升米と都市牛利)を遣わし朝貢しました。姫巫女(ヒメコ)は本名ではなく、役職名/肩書なので間違いではなかったのですが、魏では「これが噂の(ヤマトの)姫巫女か」と勘違いして、誤認したまま歴史書に記載してしまったと考えられます。つまり魏志倭人伝の後半は別の人物、第二の卑弥呼である「豊玉姫」についての記載だったのです。だから「親魏倭王の金印紫綬と銅鏡100枚」は九州の姫巫女(ヒメコ)の豊玉姫に授けられました。魏の記録ではその後豊の国は狗奴国との戦争状態になり、魏から使者の「張政」が応援に派遣されました。出雲口伝によると、この時豊の国(大分~北九州)は南の日向の都万国(宮崎県)と連合王国を形成していて、この年に(狗奴国ではなく)畿内のヤマトに向けて東征を開始。宇佐神宮に魏からもらった八本の黄色旗(幡)=八幡を奉納して戦勝祈願したので、宇佐はその後に八幡宮の祖として武力の象徴となりました。北九州市八幡の地名にも残っています。豊玉姫はその東征の途上に病のため宮島で病没します。その場所に厳島神社が建立されました。そして遺骨は豊の国に運ばれ、宇佐神宮に埋葬されました。後継者には娘の豊姫(魏志倭人伝にいう台与)が総大将に選ばれ、東征軍はその後にヤマトと出雲を制圧し、大和王朝を樹立させます。古事記における神武東征と出雲の国譲りのエピソードに相当します。宇佐神宮には八幡大神 (はちまんおおかみ)・比売大神 (ひめのおおかみ)・神功皇后が祀られていますが、このうち比売大神が第二の卑弥呼=豊玉姫だったわけです。宇佐神宮は亀山という円形の小高い丘の上に建ち、古くは「宇佐廟」と呼ばれていました。付近には「百体神社」があります。決め手は、明治40年と昭和16年の宇佐神宮の二度の改修時に地下から石棺が出土したのが目撃されていたことです。石棺墓は弥生時代後期(古墳時代以前)の埋葬様式です。いずれの際も「おそれ多い」とのことで、調査されることなく元の場所に埋め戻されたと言われています。いつか再び調査される日が来るのかどうかは今の所わかりません。

 
 第一の卑弥呼である「ヤマト国のモモソ姫」が登場したのが西暦180年代後半、第二の卑弥呼である「豊の国の豊玉姫」が没したのが西暦247年です。もしこれを一人の人物の業績だとすると、在位期間が50年以上から60年となり長くなります。不可能ではありませんが、古代の2~3世紀の時代を考慮すると不自然に思えます。だから二人の業績であっても矛盾しません。

 
 以上、今回卑弥呼の畿内説と北九州説を御紹介しましたが、古代史についてはいまだ諸説多くあり、現在確定しているものはありません。この話もその数多くの説の一つとして聞いていただくようお願いします。

 

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 皆さんは、知育菓子をご存じですか?
 知育菓子とは、練ったり・こねたり・絞ったり・形を作ったりと子供が自ら手を加えて完成させ知的能力を育む効果があるとしているお菓子です。4歳の息子は最近、知育菓子が好きで「買って、買って」とおねだりしてきます。私も小さい時「ねるねるねるね」が好きで母親におねだりしていたのを思い出しました。ブドウ味が好きな息子は、知育菓子の中で「なるなるグミの実」が一番好きでよく作っています。なるなるグミの実は、ブドウの房に見立てた棒に粉とジュースを交互につけるとグミになる不思議体験ができるお菓子で、できた丸いグミはブドウの様になります。始めは、楽しくて自分でクルクルと回してグミを作るのですが、途中から「ママ作って」と言われ私が作る羽目に(泣)。毎回私が作ったグミを息子が食べるという変な流れになります。誰の為の知育なのか。息子?わわわ私?(笑)。「お寿司を作る知育菓子をやりたい」と買った時も、最初から作る気ゼロで私がお寿司屋さんで、息子はお客さんの設定になっていました。でも、いざ作ってみるとお菓子がお寿司に見えるように工夫がされており驚きました。いつの間にか自分でも作るのが楽しく、夢中になってしまいました。

 

 知育菓子は、簡単なものからレンジを使う難易度高いものまであります。息子ももう少し大きくなれば、食べる側ではなく、作る側になって「ママ作ったよ、食べて」と言ってくれるのを夢見て、それまで私が作り、私の知的能力を高めていきたいと思います(笑)。大人でも楽しめるので、是非知育菓子お試しください。

 

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 今年度は、茨城県看護協会主催の県内高校生を対象とした1日看護体験が4年ぶりに開催されます。1日看護体験の目的は.『県内の高校生を対象に、看護体験をすることにより、看護の仕事は日々のケアを通して人を勇気づけ、元気づけ、かけがえのない命を守り、また「人の心」にふれることのできる感動ある仕事であることを感じてもらうことを目的とする。資格があれば「全国どこでも就職ができ、一生働くことができる専門職」として、進路決定の一助とする。』とあります。

 

 当院も8/10(木)に16名の高校生を受け入れる予定です。将来看護師になりたい、または看護師の仕事に興味がある高校生が参加してくれます。当日は、院内の見学から始まり、各病棟の指導者と共に看護師の仕事の一部を見学、体験してもらおうと思っています。

  

 実は私の子供も6年前に当院の1日看護体験に参加させていただきました。色々な経験をさせて頂き、看護の道に進みたいという思いを強くして家に帰ってきたことをよく覚えています。そんな娘も昨年から助産師として働き始めました。

 

 看護師になりたいと思う経緯は人それぞれだと思いますが、看護師になりたいと思ってくれた高校生が一人でも多く看護師の道に進んでくれるよう、1日看護体験担当者として精一杯関わっていきたいと思います。

 

 今回1日看護体験に参加してくれる高校生と、いつか一緒に働ける日がきたらすごく素敵だなと思います。

 

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 梅雨も明け、いよいよ夏本番ですね。夏には、高校野球で盛り上がりますね。でも、夏に盛り上がりを見せるのは、高校野球だけではないんです!

 

 毎年、結城市の文化センター「アクロス」では、茨城県吹奏楽コンクール県西大会の会場となっています。県西地区の中高生たちが、県大会出場の切符をかけて、熾烈な争いをみせるのです!今年令和5年は、7月22日と23日に行われるそうです。

 

 吹奏楽の大会は、運動部の大会のようなトーナメント制ではなくて、プロの作曲家や演奏家数名による審査によって結果が決まります。各部門によって、県大会に進める枠数が限られており、出場数の1/3にも満たない数しか次の県大会に進めない部門もあります。そのため、いつも穏やかそうな吹奏楽部員ですが…この日に限っては、運動部にも負けないくらい、情熱的に、熱い闘いをみせてくれます。

 

 私は、小学校4年生の時から吹奏楽部に入り、青春は全て吹奏楽に注いできました。社会人になってからは、すっかりやらなくなってしまいましたが、今でもYouTubeなどで聴いては、10代の若き頃を思い出しています。(笑)

 

 なかなか、吹奏楽を聴こうとはならないとおもいますが、高校野球応援での美爆音で有名な市立習志野高校や大阪桐蔭高校などの演奏は圧巻です!!ぜひ、聴いてみてくださいね。元気がもらえると思います。

 

 これから暑い日が続きますので、十分な水分補給と休息を取って、暑さに負けずお過ごしください。

 

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 ボルダリングという競技をご存じだろうか。現在は、正式にはボルダーという呼称に変わって久しい。クライミング(自分の手足を使って何かしらによじ登る行為)の一種で、最低限の道具(シューズとチョーク)のみを用い、人工の壁を登るスポーツのことである。
 私と娘がボルダーを始めたのは約1年半前。5歳になった娘が保育園のお昼寝で回復したエネルギーを発散させる場所がなく、困り果てていた時に出会ったのがボルダーだった。保育園から帰宅後の活動というと、公園遊びや習い事がまず候補に挙がるが、当時の私は仕事の後となると17時前にお迎えに行ってあげることは難しく、外は真っ暗で公園遊びは危ない時間。習い事も殆どが16時台に開始のものばかりで通わせることが出来ず、ただただ有り余ったパワーを大放出させながら泣きぐずり寝落ちる娘(前回ブログ『眠れぬ夜のひとりごと』参照)を眺め、申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら私も寝落ちるという日々を送っていた。叔母に『ボルダリングジムっていうのが、車で10分くらいのところにあるらしいよ』と言われたことをきっかけに訪れたジムは、平日は14時から22時、休日は11時から21時まで営業、時間内であれば自分の登りたい日の好きな時間帯に行き、月会員になれば好きなだけ登ることが出来るというシステムで、当時の私には救世主のように思えた。きっと、やり場のない思いを抱えていた娘にとってもそうだったと思う。

 

 ボルダリングジムにはいろんな人がいた。我々のように親子で登る人はもちろん、友人のグループで訪れる人もいれば、仕事終わりに一人で来る男性や女性、恋人同士、その年齢は幅広く、未就学児から壮年期の人達が、みんな一つの目標(ホールド)に向かってただひたすらに登っていた。気が付けば週3回以上通うほどボルダー沼にハマった娘は、本当によく眠るようになった。眠る直前までボルダーの話をし、ボルダーの夢を見て、学校終わりにはまたボルダーへ行く。先日は小さな大会にも出場し、賞状をもらって帰ってきた。決して特別な才能があるわけではないし、ジムに行っても登りもそこそこにオーナーさんや常連の皆さんと喋ってばかりの日もある。それでも、毎日泣いてばかりいた娘に、お迎えに行って開口一番『今日、ジム行ける?!』と、嬉々として言えることができただけで、私にとっては本当に幸せなことだと思うのだ。

 

 そんな娘も今年で小学生になり、いろんなことに興味を持つようになった。このまま毎日のように通い続けるのかもしれないし、ボルダーが一番じゃなくなる日が来るのかもしれない。どんな形の未来が待っていても、一番てっぺんにそびえるホールドを掴んだ瞬間湧き上がるあの気持ちを、登ることでたくさんの人達と喜びを共有した時間を、一生忘れないでいて欲しい。

 

 長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。

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